2011年8月1日月曜日

たかがセミ されどセミ・・・

7月末にようやく我が家の近くでも
アブラゼミが鳴きはじめた
梅雨明けから3週間近くたって
やっと鳴きはじめた

しかし 
その後もアブラゼミの声はほとんどなく
ミンミンゼミの合唱ばかりが耳につく


ツクツクボウシも鳴きはじめ
夏本番になったというのに
本当にアブラゼミはどこへ行ったのか

環境のちょっとした変化は
植物や小さな動物の変化として
すぐに現れる
震災に目を向け
電力の心配をし
円高を杞憂するのも大切だろう
しかし
昔から生きている生物を
常に踏み台にして生き続ける
自分たちの生き方自体を
見直さなくてもいいのだろうか・・・

何千頭もの牛が
放射能で“汚染された”と言われ
“処分する”の一言で殺され
食べられることもなく
焼却されてしまう
これでいいのだろうか
人以外の生き物の命が軽んじられる現在に
少々疲れてきました・・・

★★
★★
7月29日、桐里でアブラゼミ初鳴き
(写真は大船の鎌倉芸術館前でのものです)

1 件のコメント:

ユミ さんのコメント...

すっごく 判ります その気持ち...
何かあるたびに
私も 自分の中で堂々巡りする疑問に答える術を持たず
結局のところは 頭を垂れるしか なく... ( ̄¸ ̄`

「優れている(という意味さえ疑問ですが)」事は
「何をしても許される」という事には繋がりません。
「優れている」ならば、  
本当に「優れている」事の上に立って
「食物連鎖」或いは「生物系」のピラミッドで
「頂点にいる」ならば、
今の、こんな事態は決して招かなかっただろう
とさえ 思います。

結局のところ、人間は この地球上の生き物の中で
唯一「死ぬまで未熟な生物」
「未完成生物」なのじゃないか と よく考えます。

昔の人々はいざ知らず
現代の人間達の積み上げて来た「 命に対する負の結果」は
あまりにも巨大化し、それが自身の肩をも潰す重荷にもなっているんじゃないか という気がします。

一人では何も出来ない という絶望感に似た気持ちも否めないけど、それでも 今度こそ私は「出来る事からハッキリと意思表示するよね?」と強く自分に問いかけております。
そして、そうしていくつもり。

この有限の地球に生きているのは 人間だけじゃない
ンだもん